陰陽ダービーまであと1日!ふるさとへの誇りを胸に~歴史編~
鳥取、岡山、徳島、愛媛の4クラブが「対戦と交流」をテーマにお互いの地域の誇りをかけてぶつかり合うPRIDE OF 中四国。その中でも8月12日(日)のファジアーノ岡山戦は、とりわけ負けられない戦いとなる陰陽ダービーの一戦です。
奇しくもこの1ヶ月後の9月12日は、「とっとり県民の日」。
鳥取県民の皆様に、ふるさと鳥取を愛する心を見つめ直すきっかけとしていただく日として平成10年に制定された日です。
陰陽ダービーを目前にして、地域の魅力、ふるさとの誇りを今一度思い起こしていただくために、今日は「鳥取県の生い立ち」についてご紹介します。
今から遠い昔、飛鳥時代のころ、鳥取市の久松山付近は鳥取部(とりとりべ)と呼ばれた「鳥を捕る役目を与えられた人びと」が暮らしていました。
(「○○部(べ)」とは「○○の役割を与えられた人びと」を意味します。)
それがもとで、このあたりを「鳥取」と呼ぶようになったと言われています。
時は流れて江戸時代、因幡、伯耆の二つの国を合わせた地域を鳥取藩として池田氏が治めるようになりました。
そして明治4年には、鳥取藩は廃藩置県により鳥取県になりました。
その後、明治9年から隣の島根県に合併されましたが、様々な経緯を経て鳥取県を島根県から分離することが決定し、5年後の明治14年9月12日に今の鳥取県が誕生しました。
この9月12日こそが、今の「とっとり県民の日」の由来となっています。
「鳥取は島根の右側です!」
「島根は鳥取の左側です!」
こんなフレーズが書かれたTシャツやグッズをご覧になった方も多いと思いますが・・・
かつて、鳥取県は島根県と一緒だったことがあったのです。
今では両県併せての山陰地方。
山「陰」地方のガイナーレ鳥取と、山「陽」地方のファジアーノ岡山が戦う「陰陽ダービー」は、いよいよ明日、キックオフです。
鳥取県が誕生した経緯をもっと知りたい!というあなたは、【こちら】覧下さい。